まちのこぼれ話〈溝口・久本・坂戸〉

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父が満州から突然帰ってきたのです

小学校2年頃だったでしょうか。ある朝、皆で朝飯を食べていると「ただいま」と突然、男の人が玄関に立っているのです。家族は何がなんだかわからずにポカーンとしていましたよ。そのうち母だけが、「おかえりなさい」と答えたような気がします。父が満州から突然帰ってきたのです。

二ヶ領用水にはカワウソがいたし、蛍もいました

この辺は自然がいっぱいでしたよ。二ヶ領用水があるでしょう?今みたいに護岸などなくて、もっと曲がりくねっていてね、綺麗で眺めも良くて、生き物もいっぱいいました。カワウソがいたし、ホタルもいた。シジミが採れた。魚もいましたよ。

子どもの頃は道路が遊び場でした

今、トナミ運輸があるあたりに東京に運ぶための多摩川のいい砂利を掘る穴がいっぱいあってね。機械船で掘った後の深い穴があって、本当はそこでは泳いじゃいけないんだけど(笑)、お構いなしにそこでもよく泳ぎました。

町の靴屋として50年

昔は、顔なじみの客がいてね、南武線のホームから見えるうちの店に、「おーい、 靴売ってくれー!」なんてね、面白い人もいましたよ。開店当時の2階建ての自宅兼店舗は、今は7階建てのビルになり靴屋を続けています。

多摩川沿いでは質のよい砂利が採れたんです

昔は川から砂利場まで機械船が通る水路をつくり、船を浮かべて砂利を掘っていました。広い砂利場を深さ20メートル以上掘るので、その後に巨大な穴ができるわけです。父が管理していた砂利採掘場に、掘った後にできる大きな池があって、そこが格好の遊び場になっていました。

主に牛とか馬とかに車を引かせて運んでいました

久本小学校や高津高校のあるあたりは、田圃でしたし、野川や子母口の方にも農作業の手伝いに行ってました。皆、お互いに手伝い合っていましたから。採れたものは瀬田のほうの農協の集荷所に持っていきました。当時は自動車はなかったから、リヤカーも使ったけど、主に牛とか馬とかに車を引かせて運んでいました。

三日三晩の結婚式

昭和29年に久本に嫁に来たときには、家で三日三晩結婚式でした。お客さんが見に来るんです。どこどこのお嫁さんが来たといって、近所の方々がやってきて、持ってきた荷物や着物とかを皆に見せるんですよ。

物納の時代

私の家は久本に広く田んぼを持っていて1町2、3反は持っていたと思います。田んぼは、小作人さんに貸していました。当時は土地の賃料は、収穫した米や麦など、物納の時代だったんですね。現金よりも米・麦が大切な時代だったんです。毎年暮れになると、大きな手車に3、4俵のお米や麦を小作人さんが積んで持ってきてくれたんです。

今、私が住職をしている龍台寺は、実は無住の寺だったんですよ

檀家の方たちが「誰か寺に入る者はいないか」と探しておられて、寛永寺にいた父に声がかかったという訳です。縁者の方が紹介してくださいまして、大正12年に父はこの寺に入ることになったんです。私は三男で、長男・次男は健在なんですが、どういう訳だか今は私が寺を継いでおります。

久本で生まれ育つ

久本で生まれ育ちました。家は古く、築百年くらいで広い庭と雑木林があって、結婚してからも親子3代で住んでいました。日当たりのよい場所ということで、元自宅の後の丘を平らにして移りました。元自宅の後の使い方をいろいろ考えた末に今のような「フィオーレの森」というホッと安らげる空間を、と思いたったのです。

雨が降ると

高津小学校には近所の友達と誘い合って一緒に歩いて通いました。雨が降ると、今は置き傘があるけれど、その頃は親が持ってきてくれて、嬉しかったね。

夜行列車の修学旅行

昭和16年、6年生の時に修学旅行で京都・奈良・伊勢に行きました。前の代も後の代も行くことができなかったのですが、私たちの代は行くことができました。夜の9時半くらいに横浜駅に集合して、専用の夜行列車に乗って、京都、奈良に行き、最後に伊勢神宮にお参りし、夜行列車で帰ってきました。

家業の手伝い

家業の手伝いはよくやったよ。苗代を作ったり、田植えをやったり草取したりさ。勝手に生えてきた稗なんかも抜いてね。それとさ、昔は肥溜めがあったでしょう?で、それを苗代に撒くんだけど、それを手伝わされたもんだ。あれはいやだったなあ。

結構危険な遊びを

小さい頃は、結構危険な遊びをしていましたね。鉄砲っていって、二股の木の枝にゴムをつけて、石を飛ばすんです。それをお寺の竹藪でやりましたね。友達と二手に分かれて、撃ち合っていましたよ。今考えるとゾっとするような遊びですね、よく石に当たって怪我をしなかったなって。

駅までの道はグチャグチャで

昭和40年から50年頃は駅までの赤土が酷くて、雨が降るともう道がグチャグチャでした。雨の朝は、長靴を履いた夫を駅まで送っていき、駅で脱いだ長靴を家まで持ち帰っていました。それくらい、大変な道でしたねえ。

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