まちのこぼれ話〈溝口・久本・坂戸地域〉

 

今、私が住職をしている龍台寺は、実は無住の寺だったんですよ。

樋口 智亮さん
(ひぐち ちりょう さん)

昭和19年生まれ 73歳
川崎市高津区久本在住

龍台寺の住職をされている樋口さん。
子どもの頃の遊びや町の移り変わりなどについて伺いました。
(平成29年10月26日)

樋口 智亮さんの写真

無住の寺

  

檀家の方たちが「誰か寺に入る者はいないか」と探しておられて、寛永寺にいた父に声がかかったという訳です。縁者の方が紹介してくださいまして、大正12年に父はこの寺に入ることになったんです。
私は三男で、長男・次男は健在なんですが、どういう訳だか今は私が寺を継いでおります。

小・中学校のころ

 

 6年生のとき、新聞配達をやっている友達がいました。家計を助けていたんですね。家が学校に近い子で、配達が終わった7時ごろに私の家に来て「おーい、起きろ!」って大声で呼びかけられたりしました。(笑)

町の移り変わり

 

 その昔、久本という地区はかつて久本村と呼ばれていて、住んでいたのは40軒位でした。ほとんどが農業を営み、周辺は田圃ばかりでした。 それが戦前に国に買い上げられて広大な軍需工場になり、戦後には他の工場になったり、学校になったりと変わっていったわけです。溝口駅が終点だった東急田園都市線が延長されてからは、人口も大幅に増えました。(PDF版の抜粋です)

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