まちのこぼれ話〈下作延・上作延・向ケ丘地域〉

 

小学校卒業後は奉公に出たのよ

三ツ橋 しづ江さん
(みつはし しづえ さん)

昭和2年生まれ 88歳
川崎市高津区上作延在住

小学校卒業後、奉公に出ていた三ツ橋さんに、
当時の仕事や暮らしのことなどを伺いました。
(平成27年11月5日)

三ツ橋 しづ江さんの写真

奉公に出ていた頃について聞かせてください

 

 私は小学校卒業後1年ほど家を手伝って、それから奉公に出たのよ。 近くの地主さんの奥様とお嬢様のお世話をしてお仕えしました。
 兄妹が多かったから、家のために奉公に出るのは当たり前だった。 地主さんの子は女学校に行ったりしてたけど、私の家は地主じゃなくて小作だったからね。
 男は学校に行かなくちゃいけないけど、女は学問なんかいらないって、6年でやめさせられちゃった。
 でもね、今はいい世の中になったから、昔のことを悔んだりしませんよ。 こんなに丈夫な体に生んでくれた親に感謝しなきゃね。

当時の暮らしについて聞かせてください

 

 父は養豚組合をやってたから、養豚所へ行って脂身を買ってきて鍋でラード作って、モツも買ってきて茹でて刻んでね。 いい肉は買えなかったけど安いのを味噌漬けにしてたね。冷蔵庫なんてなかったからね、山に室があって、そこに入れておくの。
 昔はね、どこの家でも豚を飼ってたのよ。それがいい収入になったの。 糞も畑の肥料になるし、種取りってのをやって、子豚から育てて、親豚になったら豚屋がきて買ってってくれたわけ。
 鶏も飼ってたわよ。卵は売ってね、特別な物日(ものび)には家でも食べたけど、売り物だからなかなかね。  動物の世話は皆でしてました。

行事や伝統について教えてください

 

 正月の雑煮はね、その家によって違うけど、家はのし餅を四角く切った餅を焼いて、あっさり小松菜だけで作るの。 実家のはもっといろいろ入ってたけどね。
 あとは煮物をいっぱいこしらえてね。  お重に詰めたりはしないよ。大皿に盛ったりしてね。
 三が日は刃物を使わないとか、そんな習慣も全然なかったわよ(笑)。
 子どもの頃は無尽講ってのがあったわね。無尽講に当たった家は、普段できない普請なんかをすることができたんだ。
 念仏講は今でもやってるわよ。お喋りできるから楽しみだったんだ。昔は毎月やってたけど、今は年に2回だね。
 地鎮講とか、庚申待(こうしんまち)も今もやってるわよ。どっちも1年に1回かな。これは男が出ていくのね。 (PDF版の抜粋です)

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