まちのこぼれ話〈下作延・上作延・向ケ丘地域〉

 

現在も続く講とは

岩崎 輝彌さん
(いわさき てるや さん)

昭和15年生まれ 75歳
川崎市高津区下作延2丁目在住

戦争でご家族が犠牲になった岩崎さん。
戦争の様子や地域のつながりである講中などについて伺いました。
(平成27年6月18日)

岩崎 輝彌さんの写真

現在も続く講とは?

 

 冠婚葬祭の時など、講中の仲間は今でも固い絆で結ばれています。 冠婚葬祭は昔は自宅で執り行われたので、料理などもすべて助け合って作りましたが、時代でしょうか、今はすべて仕出し等です。
 葬式は、自分の仕事を1、2日休んでも手伝います。 今も受付や道案内に立ちますし、マイクロバスで斎場に早めに行ったりもします。町内会とは別の存在ですね。

ご家族が戦争の犠牲に

 

 終戦の年である昭和20年、私は5歳でした。 その年の4月4日明け方4時にアメリカ軍のB29戦闘機が我が家の近くに爆弾と焼夷弾の雨を降らせました。 その時の惨状は聞くところによると地獄のようであったとのことです。
 私の兄3人(享年、長男17歳、次男14歳、4男9歳)が爆弾で同時に死亡しました。 その時、犠牲となった17人の死体はバラバラで本人確認ができないようでした。 なんとか着ていた衣類の柄で、一つ一つの遺体にまとめたそうです。
 兄3人は、父が高津の町の消防団になっていたことから、高津の町が爆撃で真っ赤に燃えているとの情報で、 責任感の強い父は、長男に「一足先に偵察に行って来い」と命じたところ、弟2人が長男について行ったそうです。 父が「ゲートル」を巻いていた矢先、物凄い爆音がして、その被害が起きたそうです。

この辺りのお祭りとは?

 

 このあたりで有名なのは、秋の神明神社の例大祭ですね。 毎年9月の最終土日で2日間にわたり、神輿渡御及び演芸大会が開かれます。
 円福寺の松柏林天満宮例大祭は11月3日の文化の日で、やはり演芸大会があります。 ここの演芸大会の司会は20年以上、私が務めています。 父が早く亡くなったので親代わりとして、私の就職先まで世話してくれた先々代の住職の世話人の方から、司会を頼まれたことが発端で、 それ以来、今日まで続いています。このお祭りはビンゴゲームなどもあり、けっこう盛り上がります。 景品は、生活用品や農家で採れた野菜や果物などです。演芸大会の終わりに、時間に余裕があれば歌好きな私の歌で締めます。 音楽はどんなジャンルも好きですねえ。私は、落語も好きで小話などもするんですよ(笑)。 (PDF版の抜粋です)

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