まちのこぼれ話〈久地・宇奈根・北見方・下野毛地域〉

 

宇奈根に養鶏産業を興す

河原 定男さん
(かわはら さだお さん)

昭和9年生まれ 84歳
川崎市高津区宇奈根在住

5人兄弟の1番上に生まれた河原さん。
学校の思い出や養鶏産業などについて伺いました。
(平成30年10月24日)

河原 定男さんの写真

桃の出荷所が遊び場

 

 母は農業を主にやっていて私も小さい頃は、桃の木の下草をとる手伝いをしました。このあたりは、少し年上のお姉さんが多くて小学校入学前は、よく一緒に遊んでもらいました。今は「まちかど公園」になっているところが桃の出荷所でそこでよく遊びました。

国民学校、新制中学初代生

 

 小学校には、昭和16年入学、大東亜戦争が始まった年です。6クラスくらいあったと思います。男女一緒でした。その年に誕生した高津国民学校の初代です。小学校が終わる頃は戦争が激しくなりました。確か5年生で終戦になり、その翌年に6・3制がしかれて新制中学になって、高津中学校の初代なんです。そういう節目を歩んできたんです。

宇奈根に養鶏産業を興す

 

 戦中から親父が100羽くらいニワトリを平飼いで始めていました。戦後は野菜を作るよりも稼げる、ということで宇奈根の全農家はうちの親父の指導で養鶏を始めました。うちは最大1万羽の鶏を飼っていました。鶏舎は3か所に分散していて、三段鶏舎で、屋根はのこぎり型といって長く続いているんです。南から日が入るように工夫されていました。(PDF版の抜粋です)

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