まちのこぼれ話〈梶ヶ谷・末長・新作・千年・千年新町地域〉

 

戦闘機グラマンが落ちた

宮田 進さん
(みやた すすむ さん)

昭和15年生まれ 74歳
川崎市高津区新作在住

学校の先生を務められ、地域の歴史に詳しい宮田さん。
新作の歴史や戦争の記憶、小学生時代の思い出などを伺いました。
(平成26年8月27日)

宮田 進さんの写真

昔の新作の様子は?

 

 昭和13年頃に軍需工場の日本光学が進出し土地を手離すときがありました。戦前のことです。その後新作第2町内会が設立されました。 町会史が発行されています。
 新作団地の古い竹やぶの中に横穴式住居跡があったり、新作山崎谷戸の山の上には中村家が建てた地蔵があります。古東海道「小高谷戸」 という人もいます。
 久本、末長、久末などは、願望地名と言って、多摩川の水の怖さを知っている住人が、「末永く、久しく、この地に住みたい」と言って 名づけた地名です。でも、新作村の村落は、一部を除いて高台にあったので、多摩川の水害の影響はありませんでした。昭和初期までずっと 50数軒のまま変わりませんでした。これは、鎌倉時代からあまり変わってないとも言われてます。
 昔の新作の商店は、第2自治会の魚屋や都筑青果店くらいでした。他の村には渋谷酒店、坂本酒店もありました。この魚屋さんでよく買 うのは秋刀魚でした。ここの鮭は今思い出しても、塩っぽくて、塩っぽくて・・・。お祭りや宴会のときは千年にある有名な魚屋「うおのぶ」 から鯛のお頭つきなどを取り寄せました。

戦争のことを教えてください

 

 戦時中のグラマンのことですね。小学校入学前でした。アメリカの航空母艦から立川基地に爆撃に行く途中、このあたりの頭上が、 グラマンの通り道のようです。あるとき、高射砲に当たった敵機がこの地に落ちました。現在の新作団地西側です。大騒ぎになって、 本家の宮田家長男と一緒に見に行きましたよ。飛行機の両翼からピンク色をした燃料が漏れていてびっくりしました。飛行機の燃料は どこか機内のタンクに入っているのでなく、つばさに入っていることを知りました。本家の子とガソリンを抜き取ろうとしましたが、 大人たちに「危ないから子どもは、どけっ」と言われてしまいました。飛行機は萱場の上に落ちたのが良かったのか、パイロットはまだ 生きていましたよ。

小学生のときの思い出は?

 

 小学校の潮干狩りの経験は、その後の私の人生に大きく影響しました。金子先生という新任の先生との思い出です。
 世の中で食糧もお金もない昭和25年頃、その金子先生が、「明日、マンガ(三本鍬)を持って来い。潮干狩りに行くぞ」と言って、 もう一人の若い先生とリヤカーに私たちを乗せて、川崎大師の先の「出来野」に連れていってくれました。カマスと言って、むしろを 二つ折りにした袋も8枚持っていきました。面白いほどアサリが取れて、帰りはそのカマスが満タンですよ。生徒たちが原稿用紙を買えない時代 に、先生はそのアサリを魚屋に売って原稿用紙に代えてくれたのです。
 金子先生の困っている人を助けようという心に感激しました。「先生って、すごいなあ。先生みたいな人になりたいなあ」と思うように なりました。(PDF版の抜粋です)

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