まちのこぼれ話〈下作延・上作延・向ケ丘地域〉
地元への恩返し
三田 広吉さん
(みた ひろよし さん)
昭和10年生まれ 80歳
川崎市高津区上作延在住
半世紀をサラリーマンとして過ごしてきた三田さん。
子どもの頃の記憶や現在の地元とのつながりなどについて伺いました。
(平成27年10月6日)
子どもの頃の遊びは?
冒険が好きでねぇ。典型的なイタズラで腕白な子どもでした。
木登りが大好きで、山で藤を切ってターザンごっこをしたり、寺の木に登ってよく叱られました。
6年生になると、多摩川にも泳ぎに行きました。
今の国道246のところから多摩川を泳いで渡ってみようということになり、流されながらも、なんとか渡りきりました。
津田山トンネルを抜けて二ヶ領用水まで歩いたこともありましたが、子ども心に不気味だなぁと思いましたよ。
18歳からの会社員の道はいかがでしたか?
私には50年間、1つの会社「味の素」に勤務したサラリーマン時代があります。
45歳くらいのときが一番、会社員としての人生が充実していましたね。
労務管理ではいろいろな経験をさせてもらい、営業・経理以外はすべての仕事に就きました。
採用試験の面接官としては、600人以上と面接をしています。
味の素の「ほんだし」などの新製品開発の時は本当に大変で、夜も自宅に帰れないことがありました。
現在の地元とのつながりは?
上作延小学校の4年生に「平瀬川の三堰維持記念碑の歴史」を教えて10年になります。
小学校の先生から「4年生は水の授業があるし、平瀬川の記念碑についても聞きたい」と言われたことがきっかけで、
「平瀬川の昔話で良いなら」と引き受けました。
今は6年生に「第二次世界大戦の空襲を受けた体験」も語り、これは3年目になります。
子どもたちからのお礼や質問など感想文集を先生が送ってくれます。これが楽しくってねぇ。
1人1人のすべての質問に答えています。授業も1コマ45分で終らずに、質問タイムで、もう1コマ延長です。
実際の授業で、子どもとの質問のやり取りも面白いですよ。
上作延小学校には、焼夷弾のかけらがあるので、最近は興味津々で聞きに来る保護者もいます。
(PDF版の抜粋です)