まちのこぼれ話〈下作延・上作延・向ケ丘地域〉

 

下作延の屋号について

加藤 歌子さん
(かとう うたこ さん)

昭和7年生まれ 82歳
川崎市高津区下作延7丁目在住

現在も防犯パトロールに参加している加藤さん。
下作延の屋号や戦時中の思い出などを伺いました。
(平成27年7月15日)

加藤 歌子さんの写真

屋号が残っていると伺いましたが?

 

 屋号のある家は由緒ある家。下作延でも、昔からの旧家には屋号があります。
 例えば上作と下作との境のところにあるお宅は「お仲居さん」というのです。本当は「お仲居屋」。 今でも駐車場に「ナカイ駐車場」とついていますよ。 昔は上作と下作ではお偉い方が休憩する所として「お仲居屋」でちょっと休んだということで。 それで「御仲居さん」っていうんだって母が話してくれたものです。
また、「おっこし」っていう屋号、それは渡辺家の新屋です。 そこは分家で、一山越して、どっこいしょと越してきたために「おっこし」と呼んだそうです。 母の妹はその「おっこし」に嫁いだので「おっこしの妹は」と、よく言っておりました。

小さい頃の思い出

 

 幼少時の記憶で、いちばん鮮明なのは、南武線は蒸気機関車ばかり走っていたことです。 立川から川崎まで通っていた南武線は、蒸気機関車はジャリやセメントを運んでいたのですが、石炭を入れて燃やすわけです。 すると、下の方からものすごい煙が出るのです。
私が4~5歳の頃かな、父と母が田んぼの中で一生懸命、作業をしているところに蒸気機関車が来るのです。 田んぼは線路のそばでしたから、その蒸気機関車から出た煙の中に、両親がすっぽり隠れてしまいます。 私は田んぼのあぜ道で遊んでいたのですが、その煙で父や母が見えなくなり、「あら~、いなくなっちゃった」と思いました。 だんだんとその煙がスーッと晴れて消えると、苗取りをしている両親の姿が見えて安心したものでした。

町会での役員経験

 

 はじめて役所に行ったのは50年前。初めは体育指導員を20年。それと一緒に民生委員を12年。 途中から重複していますが、その当時は元気いっぱいだったから、掛け持ちでも大丈夫。あと、町内会の会計を10年、監査を10年。 全部で20年、町会役員をやっておりましたから下作延第一町会の歴史はほとんど知っています。
 初めの頃は、親子運動会のポスターも画用紙に描いて、みんな3~5枚ずつおうちで描いて持って来いっていうんです。 それで男の人も女の人も一緒になって、いっぱい持ち寄った手描きのポスターを、自転車で坂戸方面、久本方面、溝口方面とか割り当てて、 みんな自転車に乗って鋲で張りに行きました。あの当時は若かったので、相当頑張ってやりましたよ。非常に楽しかったです。
 現在も町内会の防犯パトロールをしています。  それは月末に1回、皆さんにお目にかかれるし、だいぶしんどくなりましたが、健康のためにもできるかぎり頑張ります。 (PDF版の抜粋です)

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