まちのこぼれ話〈下作延・上作延・向ケ丘地域〉

 

久地と下作延をあわせた地域が津田山なんです

大竹 寿一さん
(おおたけ ひさいち さん)

昭和17年生まれ 73歳
川崎市高津区久地1丁目在住

厳しい父親の背中を見て育った大竹さん。
当時の生活の様子や津田山の由来などについて伺いました。
(平成26年9月10日)

大竹 寿一さんの写真

将来のオリンピック選手候補

 

 子どもの頃から、僕は運動、特に体操ですね、マット体操なんかが得意だったんです。バック宙返りなんかもできたんですよ。
 大勢が見ている前で模範演技をやらされることもよくあって、そのおかげで僕のことを覚えてくれている人が多かったですよ。 「あ、体操やってた子だ」ってね(笑)。
 体操指導が得意な先生がいらして、その先生が僕がラジオ体操しているのを見て「君は将来オリンピック選手になれるよ!」って言ってくださったんです。

父に「体操では食えん!」と一蹴されました

 

 高津中学にはね、体操の指導に非常に優れた先生がいらしてね。 その先生の指導が受けたくてねえ。放課後、こっそり高津中の生徒に紛れ込んで教えてもらってましたよ。 高津中の生徒じゃないってバレた時には、先生、本当にビックリしておられたなあ(笑)。
 僕自身は体操が好きだったし得意だったので、そちらの方面に進みたかったんですが、父に「体操では食えん!」と一蹴されまして。 「大学は早稲田か慶応に行け!」と厳命されました。  父親の命令は絶対でしたからね、それまであんまり勉強していなかったんですが、仕方がないから頑張りましたよ(笑)。

久地と下作延をあわせた地域が津田山なんです

 

 「津田山」はJRの駅名にもなっていますが、現在の住居表示としては「津田山」という地名はないんですよ。
 溝口まで電車を走らせた多摩川電気鉄道の社長が津田さんといってね、 その名前にちなんで、久地と下作延にまたがる丘陵一帯が「津田山」と呼ばれていたんです。 津田山という地名を残してほしいという声も多かったんですけれどね。
 町内会は久地と下作延にまたがっておりますが「津田山町内会」と言う名を残しています。 (PDF版の抜粋です)

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