まちのこぼれ話〈子母口・明津・蟹ヶ谷・久末・野川〉
学校が変わってよく苛められました
森 武男さん
(もり たけお さん)
昭和9年生まれ 81歳
川崎市高津区久末在住
生まれも育ちも久末の森さん。
戦争中の話や戦後の学校の教育などについて伺いました。
(平成28年10月17日)
子どもの頃のおやつの思い出
子どものおやつは、夏はとうもろこしやジャガイモ、カボチャで、冬はサツマイモや柿でしたね。正月についたお餅を水餅などにして、4月くらいまで食べましたが、最後のほうは不味かったねえ(笑)。
大人も稲刈りのときのおやつは、土手の日なたで、サツマイモや柿を食べながらお茶を飲んでひと休みしました。
戦争中の記憶
忘れもしないのは昭和20年4月24日です。
防空壕も、地主からどこの山でも掘ってよいと言われていて、自分たちで一生懸命に掘っていました。防空壕に入っていても、高射砲の破片の「ウーン」と唸る音は本当に恐かったです。爆弾の音とも違うのです、その破片は記念に取ってましたが、すっかり錆びてしまいしたね。
戦後がらっと変わった教育
戦争中の教育も、当時は軍国主義一色でしたよ。今で言えば道徳の時間と言うのか、修身という授業では、イザナギノミコト伝説を信じ、教科書では日本の国土は8州からできているといって、樺太、北海道、本州、四国、九州、台湾、満州、朝鮮がすべて赤で塗ってあるんだから。
そういうことを叩き込まれてたのに、終戦でそれが全部、ウソだと言われてびっくりですよ。教科書の再版が間に合わないからと言って、黒く塗り潰されてたり、糊で紙を貼って隠したりしてるんだからねえ。
(PDF版の抜粋です)