まちのこぼれ話〈子母口・明津・蟹ヶ谷・久末・野川〉
新聞配達の思い出
森 郁男さん
(もり いくお さん)
昭和14年生まれ 77歳
川崎市高津区久末在住
生まれも育ちも久末の森郁男さん。
地域の人に支えられて育った子ども時代や子ども会の会長の時の話などを伺いました。
(平成28年9月15日)
戦時中に大変な苦労を
次男だった父が37歳の時に出征し戦死しました。私は5人兄弟で、姉が2人、私、下に妹と弟がそのとき残されました。それからです、母の苦労が始まったのは。今でも私は「なぜ、日本はうちのような0歳、2歳、4歳、6歳、8歳と小さな子どもが5人もいる父親を兵隊にとったのだろうか」と納得がいかない思いです。
負けず嫌いだった子ども時代
私は、背が小さくてあだ名はチビで背の順は前列、おまけに母が親戚から貰ってくる、お古のズボンはいつも継ぎはぎだらけで前列はきつかった。みじめなので人に負けたくない一心で勉強も運動も頑張りました。遊びのメンコなんかも強かったねえ。メンコは下級生とは遊ばず、いつも上級生に挑んでましたね。
橘中学校一期生
中学は1年生の時だけ西中原中学であとの2年間は橘中学です。橘中は農家の人たちが畑を提供して建てた学校です。
2年生の4月13日までは西中原中で、次の日の14日から橘中に行けと言われたんだよね。2年生で入学して最上級生。学校に行ったらグランドなんかなくて全部畑でびっくりしましたよ。子どもながらに皆で朝7時に学校に行って、運動場作り。女子のソフトボールができる広さの運動場をまず作りました。
(PDF版の抜粋です)