まちのこぼれ話〈子母口・明津・蟹ヶ谷・久末・野川〉
久末の市営住宅は
鈴木 健之さん
(すずき けんじ さん)
昭和16年生まれ 75歳
川崎市高津区久末在住
久末で幼稚園の園長先生をしている鈴木さん。
久末の谷戸の話や子どもの頃の遊びなどについて伺いました。
(平成28年6月28日)
町の様子
私が子どものころ、戦争のころですね、久末には62軒、私どもが住んでいた後谷戸だけだと12軒の家がありましたね。あとお寺(妙法寺)がありました。
道を歩いていても、会う人皆知っているという土地柄でした。久末には森という姓が30数軒、鈴木が10数軒いましてね。皆農家でした。
大きな耕作地っていうのはなくて、畑と田圃が半分づつといったところでしたね。
子どもの頃の遊び
一人で過ごすことはまずなかったですね。ガキ大将を中心にした子ども社会ができていて、男の子が集まると、まず竹馬。もちろん自分で作るんですが、節をそろえて、自分の背丈に合ったものを作る、これがなかなか大変なんですよ。(笑)
コマ回しもね、いかに技術を高めるかっていうんでロープを麻で作ったりね、工夫してました。そういう知恵は皆で出し合って工夫して、競い合って遊んでいました。
物質的には何もなかったけれど、とても豊かな時代だったと思いますよ。
川崎めぐみ幼稚園開園
開園は昭和40年でした。当初は戦後の第2次ベビーブームでして、公営住宅に入る方々というのは年齢や家庭の状況が似たような方が入られますでしょう?それで幼稚園に入るお子さんもどんどん増えてきましてね。受け入れる側もどんどん増築したり設備を整えなくてはなりませんでした。
(PDF版の抜粋です)