まちのこぼれ話〈子母口・明津・蟹ヶ谷・久末・野川〉
山でおやつを調達
杉山 澄子さん
(すぎやま すみこ さん)
昭和14年生まれ 77歳
川崎市高津区蟹ヶ谷在住
実家が蟹ヶ谷にあり、結婚後に蟹ヶ谷へ戻ってきた杉山さん。
子どもの頃の様子や蟹ヶ谷の変化などについて伺いました。
(平成28年9月13日取材)
蟹ヶ谷に吹く涼しい風
このあたりは、戦前は12軒しかなかったんです。我が家の周りは見渡す限り田んぼが広がり、山の方に上がると一面畑でした。サツマイモ、ジャガイモ、ムギ,アワ、それからゴマも。食べるものは全部作っていましたね。
田んぼにはカエル、タニシがいて田んぼからくる風が涼しかったこと。
午前中は子守り。午後から学校へ
小学校は、橘小学校に1時間かけて歩いて通いました。当時は学校が2部制で、午後からの日は、両親は朝から畑に行くので11時頃まで弟をおぶって子守りしてから学校に行く、そんな生活でした。
道路は牛や馬が行き交い、リヤカーや自転車などで溝ができていて、雨の日は大変でした。
戦争の記憶
家の裏には防空壕があって、空襲警報のサイレンを聞くと、そこを出たり入ったり、B29が飛んでくると空を見あげたり…。大きな空襲を受けなかったせいか戦争中の記憶はあまりないんですよ。
戦後、1年生の秋ごろ学校に行く道にアメリカのジープが来ると「連れて行かれる」って大騒ぎして、みんなで隠れた思い出があります。戦後間もない頃は車といえば、アメリカのジープくらいでしたから。
(PDF版の抜粋です)