まちのこぼれ話〈子母口・明津・蟹ヶ谷・久末・野川〉
祭りの時期になると
森 正さん
(もり ただし さん)
昭和7年生まれ 84歳
川崎市高津区子母口在住
子母口で養鶏場を営む森さん。
子どもの頃の子母口の様子や養鶏のお話などについて伺いました。
(平成28年10月11日)
農繁期はお寺が託児所に
このあたりは、面積は広いけど、家は40~50軒くらいだけでした。小学校にあがる前の農繁期には、村の青年団の女性が子どもたちを千年の能満寺に連れて行ってくれ、一日一緒に過ごしました。お寺が託児所だったんです。
田んぼが火の海に
昭和20年4月15日だったかなあ、このあたりは空襲を受け、一面に広がっていた田んぼに焼夷弾が落ちました。想像できないですよね。
山の方にみんなで逃げて家族は無事でした。私の学用品などは従妹が持ってくれた記憶がありますね。家は全焼し、近くの圓融寺、遭乗院も焼けました。家にあった仏具や、農具、記録などもこの時に全部焼けて失くなってしまいました。だから父が何代目かも正確に分からないんです。防空壕もすっ飛びましたからね。
仕事は私の道楽
昭和25年頃から役牛の牛を1頭飼っていて、田んぼのすき起こしから私が全部やりました。牛が思うように動いてくれるまでが大変でね、でも牛はかわいかったよ。牛がいない家に牛を貸してあげたりもしてました。
豚も飼ってました。産まれたばかりの豚もかわいかったなあ。当時、千年、子母口では養豚をやっている農家も何軒かありました。
(PDF版の抜粋です)