まちのこぼれ話〈子母口・明津・蟹ヶ谷・久末・野川〉
子どもも農家の手伝いをするのが当たり前でした
内山 キクさん
(うちやま きく さん)
昭和3年生まれ 88歳
川崎市高津区子母口在住
養子を迎えて子母口の家を守った内山さん。
子どもの頃のお話や尻手黒川通りができたときの話などを伺いました。
(平成28年6月10日)
橘小学校の思い出は
小学校の思い出で、影向寺(ようごうじ)から来ていた太った加藤先生が忘れられないです。輪になって踊るお遊戯を教えてくださったのですが、とてもお上手でした。
毎日持っていく弁当は、麦ご飯とおかずは鮭くらいなもんです。特別の日だけは、白いご飯が食べられましたね。
当時の町の様子は
私の家の前は尻手黒川通りです。この道路ができて、とにかくこの土地周辺の交通網が画期的に変わりましたねえ。この道路は切通しができて、整備されました。以前の我が家はこの山肌の上にありました。
戦争があったから
昭和20年、16歳で終戦を迎えました。玉音放送は、自宅の座敷で皆でラジオから聞きました。長兄の戦死はすでに公報でわかっていましたが、次兄も戦死と判明しました。
次兄だけは、元気で帰ってきてくれるだろうと信じてましたから、家族は本当にがっかりして、残念でたまりませんでした。
(PDF版の抜粋です)