まちのこぼれ話〈溝口・久本・坂戸地域〉
多摩川沿いでは質のよい砂利が採れたんです
青山 昭久さん
(あおやま あきひさ さん)
昭和8年生まれ 84歳
川崎市高津区溝口在住
小学校2年生の頃から溝口で暮らす青山さん。
子どもの頃の遊びや戦争中の思い出などについて伺いました。
(平成29年9月8日)

小学校の頃
戦時中、高津小学校は兵舎になって、九州の部隊が来ていました。方言で話すから、最初は何を話しているのかわからなかったです。
兵隊さんたちは多摩川の河原に穴を掘っていました。その穴のことを「蛸壺」って呼んでいましたね。機銃掃射の時に避難するための、人間1人が入れるくらいの穴です。私たちは土を運んだりして手伝っていました。
子どもの頃の遊び
父が管理していた砂利採掘場に、掘った後にできる大きな池があって、そこが格好の遊び場になっていました。
泳いだり、魚釣りをしたりね。大きな食用ガエルが獲れたんです。食用ガエルは業者が買い取ってくれたんです。店で売ってたんですよ。当時は広く一般家庭の食卓に上っていたんです。近くには梨畑もあったので、梨もよく食べました(笑)
砂利採掘の様子
昔は府中県道の辺りも多摩川が流れていたと聞いています。多摩川の川岸の幅200メートルくらいまで、今の大正堂のあたりまでが砂利穴だったんです。地質は砂利層なんですよ。
昔は川から砂利場まで機械船が通る水路をつくり、船を浮かべて砂利を掘っていました。
広い砂利場を深さ20メートル以上掘るので、その後に巨大な穴ができるわけです。そこに水が溜まってプールみたいな池ができたのです。
(PDF版の抜粋です)