まちのこぼれ話〈久地・宇奈根・北見方・下野毛地域〉

 

渡し舟の思い出

原 継雄さん
(はら つぐお さん)

昭和20年生まれ 73歳
川崎市高津区下野毛在住

学校卒業後に花卉園芸業に従事した原さん。
当時の暮らしなどについて伺いました。
(平成30年9月11日)

原 継雄さんの写真

当時の食生活は

 

 白いご飯なんて贅沢品ですよ。基本的にはずっと麦飯です。田んぼが無いから陸稲です。また、このへんは落花生、長芋、里芋、ゴボウなど根のものが多かったです。鶏を飼っていたから、卵は毎日食べられました。今や、麦とろご飯に卵なんて、本当にヘルシーで贅沢なものですよ。私は、毎日食べていたから、今さら麦とろご飯にお金を払う気はしないけど(笑)。

家業はカーネーション作り

 

 昔はカーネーション1本1本が高級品でした。温室は普通のビニールハウスなどではなく、ガラス張りの温室でした。夏は暑くて、冬は寒くてねえ・・・。冬は花のためにボイラーの暖房をつけました。

渡し舟の思い出

 

 多摩川に第三京浜の橋が架かる以前には、向こう岸に渡る手段に渡し舟がありました。当時は東京からこちらに、猟に来る人もたくさんいましたからね。下野毛にも渡し舟の船着場があり、大人5円、猟犬が5円でした。しかし、犬に5円を払うのはもったいないと犬は泳がせて渡らせていたなあ。(PDF版の抜粋です)

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