まちのこぼれ話〈久地・宇奈根・北見方・下野毛地域〉
空襲警報が鳴ると家の前に掘った防空壕へ逃げ込みました
河原 勇さん
(かわはら いさむ さん)
昭和14年生まれ 79歳
川崎市高津区宇奈根在住
宇奈根の農家に跡取り息子として生まれた河原さん。
戦時中の思い出や地域の様子などについて伺いました。
(平成30年10月29日)
戦時中の思い出
空襲警報が鳴ると家の前に掘った防空壕へ逃げ込みました。防空壕と言っても、ただ穴を掘って、上に竹を乗せて土を被せたみたいなもので、爆弾が落ちれば一発で駄目になっていたと思います。空襲警報は絶えずありました。祖母は具合が悪かったから、お袋が背負ってしょっちゅう防空壕を出たり入ったりしていました。
子どもの頃の思い出
昔は、今みたいな瓦屋根じゃなくて、藁葺きの屋根だったから。3~4年ごとに葺き替えるのが大変でした。茅葺きは1度葺くと30年くらいもつのですが、うちは小麦の藁でしたからすぐ腐っちゃうんですよ。だから絶えず入れ替えないと駄目でした。親父はのんびりながらもそれを治して、私もそれを手伝っていたので、屋根の葺き方も覚えています。
周辺の景色や様子
子どもの頃は桃畑とか野菜畑が多く、少々家があったくらいです。宇奈根という地域は久地駅から少し歩くので、駅の周りは発展したけれど、この辺りはタヌキが出る、キツネが出るという印象が強かったです。取り残された離島みたいなところでした。(PDF版の抜粋です)