まちのこぼれ話〈久地・宇奈根・北見方・下野毛地域〉
わんぱく少年の鉄則
河原 金蔵さん
(かわはら きんぞう さん)
昭和17年生まれ 76歳
川崎市高津区宇奈根在住
宇奈根で3代目の金蔵の河原さん。
多摩川の様子や子どもの頃の遊びなどについて伺いました。
(平成30年10月9日)
多摩川は暴れ川
多摩川は何度も氾濫しました。今の堤防は昭和の初めにできています。昔から宇奈根に住んでいた人たちは洪水との戦いでした。どこの家も、家が流されないように木を植えていました。ここは、多摩川の流域で土が肥えているので、けやきや樫の木など大木が多かったのです。
多摩川の鮎
父が育った頃は、ここは東京府北多摩郡砧村字宇奈根山野と呼ばれていて、多摩川はほぼ今の形となっていたようです。父は川を渡って砧小学校に通っていたそうです。当時、川は幾筋かに分かれていたので、狭い筋をまたいで川向うに渡る、毎日大変な通学なのに父は精勤賞をもらっているんですよ。
夏には、茅萱を束ねて鮎を岸に追い込んでつかまえ、笹に鮎をさして束ねて持っていく。すると小使さんは、父が遅刻しても大目にみてくれたそうです。
季節ならではの遊び
登校途中、津田山沿いの府中街道の沢には、50~70センチの氷柱ができていて、新聞紙に包んで学校に持っていきました。
カブトムシ、氷柱などを学校に持っていき友達を喜ばせ、常にみんなの注目をあびる、これがわんぱく少年の鉄則でした(笑)。
(PDF版の抜粋です)