まちのこぼれ話〈久地・宇奈根・北見方・下野毛地域〉

 

小学校の頃からの遊びはずっと円筒分水でした

石塚 兼義さん
(いしづか かねよし さん)

昭和12年生まれ 81歳
川崎市高津区久地在住

久地で生まれ育った石塚さん。
子どもの頃のお話や昔の円筒分水などについて伺いました。
(平成30年9月27日)

石塚 兼義さんの写真

小学校の思い出は

 

 1番の思い出は、やはり弁当ですね。戦後の食糧難でしたから、日の丸弁当でも嬉しかったですね。ご飯はやはり、麦7米3の割合です。終戦後の小学4年のときに新聞紙の上に、脱脂粉乳を分けてもらい舐めました。マカロニやコッペパンなども出てきました。

円筒分水について

 

 小学校の頃からの遊びはずっと円筒分水で魚捕りや泳ぐことでした。円筒分水は底が空いているので中央部分で潜ると円の外側に出てくるのですよ。一度潜って見えなくなると、「あれっ、どこ行っちゃった?」なんてね(笑)。泳ぐときは、女子は海水着だったし、男子は「赤フンだぞ!」なんて威張っていました。

お地蔵さんとともに

 

 円筒分水と同じくらい、小さなときから親しんできたものがあります。それはうちが管理している家の前の「子育て地蔵」です。
 家の前の道で、大きなトラックがUターンのときに曲がりきれなくて、何度ブロック塀を壊されたかわかりませんし、オートバイの接触事故も多いのですが、死亡事故はありません。これもお地蔵さんのおかげかなと思っています。 (PDF版の抜粋です)

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