まちのこぼれ話〈下作延・上作延・向ケ丘地域〉

 

村で順番にわらぶき屋根を替えていました

三田 ナミさん
(みた なみ さん)

昭和4年生まれ 86歳
川崎市高津区上作延在住

地元の小学校で昔の遊びや生活についてお話している三田さん。
昔の農家の様子や戦争体験などについて伺いました。
(平成27年10月28日)

三田 ナミさんの写真

昔の農家の様子は?

 

 私たちの村は、平屋でわらぶき屋根の農家が60軒くらい住んでいました。 4~5年に1回、冬の季節に屋根替えがあり、屋根屋という専門の職人が村に来て、 皆でやり方を習って、それを1軒ずつ順番に屋根替えを手伝ったのです。 屋根替えのために刈ったススキの穂などを物置の庇に溜めておくのですが、 その量が足りないと屋根に使っても、もちが悪かったですよ。 だから、たくさん干してある家から、お金を出して買い足しもしました。

戦時中の忘れられない思い出は?

  

 父の弟が戦死しました。溝口の酒屋で住み込みで働いていたのに、親に内緒で志願して、海軍の船で亡くなりました。 18歳という若さでした。
 現在、近くのバス停「しばられ松」のところに慰霊碑があります。 今年10月初めにも慰霊祭を行い、神主さんに祝詞をあげてもらいました。
 戦時中は、たくさんの焼夷弾が田んぼや畑に落ちました。この辺りは、1軒だけ焼けましたが、蔵は大丈夫でした。
 うちの畑にも62部隊への流れ弾が落ちましたよ。そのあとの不発弾の処理はどうなったんだか、忘れてしまいましたけど。
 B29が有馬と馬絹の間に落ちた時は、わざわざ歩いて見に行きましたよ。

しばられ松の写真

現在の地元での活動は?

 

 地元の小学校に、昔の遊びや昔の生活について話しに行ってます。
 独楽や羽根つき、あやとりや縄跳びなどの昔遊びで一緒に遊んだりします。
 昔の生活については、子どもたちの質問に答える形をとっています。 子どもたちの質問は、「昔の食べ物」、「放課後の遊び」、「正月の過ごし方」など、さまざまです。 そんな時は「昔はね、食べる物がなかったから道のイチゴやグミの実を食べたりしたのよ。 でも風邪のときだけはバナナを食べられたのよ」とか、 「帰り道に沢があってね、そこのサワガニやシジミを獲ったりしたの。沢に落ちて親に怒られたわ。 でもね、遠い道のりでも楽しく帰ってきました」と話して聞かせます。
 子どもたちは、メモを取ったり真剣に聞いてくれるから嬉しいです。 それに、授業の後にしばらくするとお礼の手紙が届くのですよ。本当に今の子は綺麗な字を書きますね。 本当に立派ですよ。私の頃とは大違いです(笑)。 (PDF版の抜粋です)

PDFで全文を見る

地域別へ戻る