まちのこぼれ話〈下作延・上作延・向ケ丘地域〉

 

昭和19年5月25日の夜

三田 久幸さん
(みた ひさゆき さん)

昭和7年生まれ 83歳
川崎市高津区上作延在住

祭りとなれば、どこへでも駆けつける三田さん。
その時の武勇伝や空襲体験などについてお話を伺いました。
(平成27年9月17日)

三田 久幸さんの写真

空襲体験について聞かせてください

  

 昭和19年5月25日の夜、私は庭にいました。  ヒューー!ザーー!という不気味な音。
 「焼夷弾だ!」父の叫び声!物置に飛び込んだと同時に物凄い音がして吹き飛ばされました。 土壁の煙がもうもうとする中、見上げると屋根に大きな穴が開いていました。
 互いに呼び合いながら庭に出ると、母屋の屋根や庭のあちこちに炎が上がっていましたが、 梯子をかけ、父が茅葺屋根の棟に掛けられた鎖につかまって、炎を叩き、払い、何とか無事に消火することができました。 初めに掛けた梯子が届かなくて、転びながら長い梯子を取りに走りましたね。大混乱、必死でした。

上作延の空襲の様子を描いた油絵の写真

農業から理容業へ

 

 私は次男なのですが、兄が農業を継がず鳶職になったものですから、私が父を手伝っておりました。 しかし、近隣の開発による農地の縮小や、時代の流れを見て、この地で農業を続けるのは厳しいのではないかと両親とも相談しました。
 人々の暮らしも落ち着きを取り戻しつつありましたので、これからは身なりもかまい、 ファッションにも気を使うようになるだろうから、理容業がよいのではと考えました。 それでも長年の家業を止めようというのですから、理容学校に通っている時に、1人で畑仕事をする父の姿が見えると胸が痛んだものです。

お祭り男の武勇伝

 

 地元青年団に入り、青年倶楽部に集まって神輿を磨いたり組み立てたりするうちに、すっかり祭りの魅力に取りつかれ、 近隣の祭礼にも出向いたりして、すっかり“祭り男”になりました(笑)。
 しかし、いくら好きなこととはいえ、長時間の神輿担ぎで腰を痛めて、翌朝起き上がれなくてね。帰宅して即入院、椎間板ヘルニアで一ヶ月半でした。今では笑い話の種ですがね(笑)。(PDF版の抜粋です)

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