まちのこぼれ話〈下作延・上作延・向ケ丘地域〉

 

水洗トイレって何だ??

加藤 孝市さん
(かとう こういち さん)

昭和16年生まれ 74歳
川崎市高津区下作延2丁目在住

実家が大山街道沿いで立場(街道の休憩場所)を営んでいた加藤さんに、
当時の溝口駅周辺の様子や子どもの正月行事である精の神(どんど焼き)のことなどを伺いました。
(平成27年6月16日)

加藤 孝市さんの写真

子どもの正月行事 精の神(どんど焼き)

 

 正月の松が取れると、小・中学生20人くらいで下作延や溝口駅周辺の家・商店をリアカーで回り、正月飾り(門松等)や古い御札を集めて歩きました。 その時にお金(おみき銭)ももらいました。集めた飾り等は、1月13日に学校から帰ってから空き地に大きい竹を中心に円形の小屋を建て、  一晩小屋の中でお菓子等を食べながら過ごしました。翌朝の6時頃、「精の神に火をつけるぞ」と大声で宣伝しながら町内を歩きました。  精の神の残り火でお餅等を焼いて食べると、病気にかからないと言い伝えられていました。また、集めたお金でお菓子やみかん等を買い、来た人に配りもしました。
 宅地化に伴い、空き地もなくなり、昭和30年を最後に中止になり、高津地区に残っていた精の神は姿を消しました。  その後、昭和60年代に高津青年会議により数年間行われましたが、中止になりました。昔の行事が姿を消すことは寂しいですね。

活気あふれる溝口駅周辺

 

 溝口には東京工機、ミツトヨ、東芝など工場がたくさんあって、にぎわっていました。戦後は闇市もありましたよ。
 お店もたくさんあって「溝の口百貨店」があったんです。ここに確か昭和27年か28年だったでしょうか… 水洗トイレがこのあたりで最初にできて、学校帰りにどんなものか、友達と見に行って水を流して「なるほど」なんてね(笑)。
 大貫病院はすでにあって、昭和32年に山口耳鼻科が開業。私は開業後、2~3番目の患者でした(笑)。  その後、安藤整形外科、帝京大学付属病院、高津中央病院と病院ができました。

季節の恵みをみんなで分ける

 

 子どもの頃、夏は5時には起きて、カブト虫採りです。毎日50匹は簡単に採れ、身代り不動、梶ヶ谷の山の方まで採りにいきました。  8月から9月は、山で栗や山ぶどう、10月はあけび採りと山芋掘りです。採るのはどうしても上手下手があるので、採ったものは一度集めてみんなで分けていました。  この山は赤土で、「おすべり山」とも呼んでいて、よくお尻の下にござをひいてシューッとすべって遊びました。
 冬はベーゴマや木に登って鬼ごっこなど。小学生になると遊び仲間に入れてもらい、中学3年生がリーダーになって上の子が下の子の面倒をみていました。 (PDF版の抜粋です)

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