まちのこぼれ話〈子母口・明津・蟹ヶ谷・久末・野川〉

 

子どもの頃の遊びは

和田 茂雄さん
(わだ しげお さん)

昭和13年生まれ 78歳
川崎市宮前区野川在住

子どもの頃は周りに家が1件もなくて寂しかったという和田さん。
戦争中の話や町が変っていく様子などについて伺いました。
(平成28年6月13日)

和田 茂雄さんの写真

戦争中の記憶

 

 今と違ってあの頃は皆、貧しかったと思うね。この辺り一帯には家がなかったし、ここからは南武線の駅舎も見えてました。戦争中は空襲にもあいました。空襲が激しくなり、学校もお寺に分散して勉強していて、わたしは妙法寺に行きました。あそこが近いからね。

戦後の暮らし

 

 お米と麦、野菜もたくさん作っていましたね。でも現金収入も必要だったから、養豚もはじめました。多いときには70~80頭も飼っていました。当時のエサは、東京の方から一日置きに残飯をもらってドラム缶に入れて運ぶのです。オート三輪でね。この辺りの農家もほとんどが豚を飼っていました。
 昭和40年頃からは近所に人も増え、県営野川南台団地ができて、臭いの問題などもあって養豚は辞めざるを得なくなったのです。昭和50年近くまでは飼っていたね。いずれにしても団地が出来た当時はまだ、ここで豚を飼っていましたね。

お祭りの思い出

 

 地元の野川神社は元々10月12日が祭礼でね。今は暦の関係で体育の日が祭礼になっています。青年団で御神輿を担いで、縁日もあって楽しかったね。一時期は地元の青年団はお芝居もしなくてはならないから皆で練習していましたね。女の人たちもやっていたね。
 私たちの頃はもうお芝居はなくなっちゃったけど、御神輿は担いだね。今は「野川音頭」があるから、盆踊りも楽しいね。
(PDF版の抜粋です)

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