まちのこぼれ話〈子母口・明津・蟹ヶ谷・久末・野川〉

 

床下浸水の記憶

長谷川 功さん
(はせがわ いさお さん)

昭和13年生まれ 78歳
川崎市高津区蟹ヶ谷在住

蟹ヶ谷の地で印刷業を営んでいる長谷川さん。
蟹ヶ谷へ引っ越されてからの町の様子などのお話を伺いました。
(平成28年9月29日取材)

長谷川 功さんの写真

蟹ヶ谷に移転

 

 田町の会社にいる時の昭和33年に社内結婚しました。最初は大田区六郷橋近くの家内の実家に2~3年同居していたんですが、隣家の出火で焼けちゃったんですよ。で、そこを売って蟹ヶ谷に引っ越してきたんです。親戚に不動産をやってる人がいたので、その人に探してもらったんです。
 当時は私たち親子の2軒を含めても家が3軒しかなくて、周りはジャガイモ畑でした。

変化したこと色々

 

 やがてポツポツと建売住宅が増えてきました。畑がなくなったなと思うと、その後には建売住宅ができていました。そこへ越して来られる方はほとんどがサラリーマン家庭でしたね。

小学校の変化

 

 越してきたときは子母口小学校はまだなかったです。建設中だったですね。
 最初は橘小学校の分教場としてスタートして、そちらから、3年生以下の子どもたちが移ってきました。校庭がまだ完成してなくてドロドロの校庭で入学式をやったんです。スノコを敷いて子どもたちにはその上を歩かせました。
 その後2、3年して独立して子母口小学校になったんでしたね。
(PDF版の抜粋です)

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