まちのこぼれ話〈梶ヶ谷・末長・新作・千年・千年新町地域〉

 

当時はお寺が保育園に

木嶌 士郎さん
(きじま しろう さん)

昭和8生まれ 81歳
川崎市高津区千年在住

千年生まれ・千年育ちの、木嶌士郎さん、木嶌眞一さん、成田さん、吉田さん、石井さんに
子どもの頃の思い出、まちの風景、戦争の記憶のことなどを
座談会形式で伺いました。
(平成27年1月29日)


木嶌 眞一さん
(きじま しんいち さん)

昭和8生まれ 81歳
川崎市高津区千年在住









成田 茂さん
(なりた しげる さん)

昭和9生まれ 81歳
川崎市高津区千年在住








吉田 信一郎さん
(よしだ しんいちろう さん)

昭和2生まれ 88歳
川崎市高津区千年在住









石井 三郎さん
(いしい さぶろう さん)

大正15生まれ 89歳
川崎市高津区千年在住

木嶌 士郎さんの写真

木嶌 眞一さんの写真

成田 茂さんの写真

吉田 信一郎さんの写真

石井 三郎さんの写真

当時はお寺が保育園に

 

石井 春の田植え、秋の稲刈りなど農繁期の季節には、子どもを託児所で見てもらうことがありました。能満寺の6畳か8畳の現在の不動堂でしたね。
成田 お寺に皆で行ったことがあったね。
木嶌(士) 今でいう保育園のように、地元の娘さんが3~4人で子供たちの相手をして遊んでくれたものです。託児所にいると、家の年寄りがさつまいもを ふかして持ってきてくれたりして、皆さんで食べなさいと差入が時にはあり、嬉しかったものですよ。
木嶌(眞) お寺にはお弁当を風呂敷に包んで腰に巻いて行きましたね。

子どもの頃の遊びは?

 

木嶌(士) あの頃の遊びといえば「コマ回し」「メンコ」「ベーゴマ」「カクレンボ」「鬼ゴッコ」でした。特に「コマ回し」 では鉄を付けた木のコマに、縄を巻きつけて、思いっきり放って相手のコマとぶつけっこするわけです。今思うとちょっとあぶない遊びですね。
吉田 鉄コマをぶつけっこするのですが、私は顔に当たり怪我をしましたよ。鉄コマは胴体が木で、回りと芯棒が鉄で、夜に塩水につけておくと、 木がふやけて翌日うまく使えるのです。
木嶌(士) そう、みんな夢中で、家に帰るとコマを塩水にしっかりつけて鉄が錆びないようにしたり、木の部分をふやけさせて形を整えて、 次の日に遊ぶ準備をしたりしてね。あとは相撲力士型をしたメンコで遊んだり、ポチという犬と一緒に遊んだりもしましたね。
吉田 かくれんぼもよくしました。今で言うスギ花粉なんかその頃、知らないうちに葉っぱをかぶって遊んでいましたよ。
木嶌(士) あの頃は今のようにスギ花粉がどうこういわれる時代じゃなかったからね。薪小屋でかくれんぼ遊びで隠れようとして、 たくさんの杉の葉かぶっても何ともなかったなぁ。周りに杉の木など沢山生い茂っている、そのような日々の生活でした。

第三京浜道路の話を聞かせてください

 

木嶌(士) 昭和40年に第三京浜道路ができましたが完成まではいろいろ大変でした。ちょうど千年を通るのですが、高速道路が できてしまうと地域を分断してしまうことになり、お互いに行き来ができなくなるのは困るということで絶対反対で、反対期成同盟を 作って道路公団側に抗議し、現在の第三京浜高速道路が出来上がったのです。
吉田 最終的には「動脈道路は大切、お国のためだ」ということで、高架にするという条件付きでその反対同盟も同意しました。 今では道路を高架にするなんて当たり前のことですが、昔は、地域共同体がそれだけ大切だったのですよね。
成田 地元を代表して柏木武男さんが交渉してくれました。そのあたりは「目で見る千年の今昔」をぜひ読んでみて下さい。(PDF版の抜粋です)

写真集「目で見る千年の今昔」の表紙の写真

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