まちのこぼれ話〈梶ヶ谷・末長・新作・千年・千年新町地域〉

 

湧き水があり、水車が回っていました

宮田 義彰さん
(みやた よしあき さん)

昭和5年生まれ 83歳
川崎市高津区新作

地域のために「悠友館」を運営している宮田さんに
子どもの頃の記憶や悠友館への思いについて伺いました。
(平成26年8月28日)

宮田 義彰さんの写真

当時の町の風景は?

 

 小学校では普段から遊んでる子はいなかったですよ。ほとんどの家が農家だから小学生でも中学生でも畑や田んぼの手伝いをするのが 当たり前のことで。藁打ちだの薪割りだの、女の子だと縄ないしたり、草むしりしたりね。
 クラスは男組、女組、男女組って分けられてました。ひとクラスが多くて50人ぐらいでしたね。学校生活は楽しかったなあ。 生徒会長もやりました。昼食は帰宅して家で食べてました。
 学校へ通うときは高等科の生徒が引率してね。この辺は山で、木が茂っている他は田んぼしかなくて、一人で歩くのが怖いような道でした。
 市民プラザの入り口のあたりでは、以前は綺麗な湧水が噴き出ていて、畑で昼飯を食べるときにはその水を飲んでましたね。湧水は冷たいんですよ。 もちろん田んぼにも使っていました。小学校にはいるころまでは水車が回っていましたよ。田んぼに水を通すにも石堰、板堰、草堰って堰が 3種類あって、通す水の量がちがうんです。湧水の量はだんだん減りましたね。まあ、田んぼの作り方も変わってきましたけど。

相撲大会で景品をいっぱいもらったなあ

 

 宮田の本家では庭に土俵を作っていてね、青年団の人が土俵を作ってましたけど、よくそこで相撲をとっていました。学校帰りにそっち へ行ってずっと入り浸り。夏休みなんて、お盆の大会が終わるまで家でお風呂に入ったことがなかったくらい(笑)。
 相撲大会の時には、景品がでるんですよ。子どもの頃私は腕白だったから、強かったんですよ。
 月遅れのお盆には大きな大会があって、その時には溝口の商店などからもたくさん景品が出されて、景品をいっぱいもらいましたね。

悠友館の誕生

 

 「悠友館」って名前はね、「出会ったら永遠の友だよ」っていう思いが込められているんです。家内と計画していたのは、 親も子もいろんな人と交流したり、情報を得たり、一緒に楽しめる場所。その願いを形にした「悠友館」を平成11年にスタートさせました。
 いろんな子どもさん、障害があるとか、学校になじめないお子さんとか、どんなお子さんも一緒に楽しく勉強したり遊んだりスポーツに 親しんだりできるような居場所を提供するってことで、当初はずいぶんいろんな子どもたちが来ていました。教育長をしておられた 池田輝夫先生からもアドバイスや励ましをいただきました。だんだん子どもさんが減ってしまって、今は勉強会はやっていません。
 スポーツはずっと柔道をやっています。悠友館を始めるときに、「それなら是非柔道をやれ」って、中央大の先輩に言われましてね、 警視庁の道場で使っていた畳を頂きましたよ。以来、中央大からコーチや指導員が来てくれています。(PDF版の抜粋です)

PDFで全文を見る

地域別へ戻る