まちのこぼれ話〈梶ヶ谷・末長・新作・千年・千年新町地域〉

 

駅が出来て東急の区画整理が始まったら「ブル」がやってきたんだ

亀ヶ谷 与四郎さん
(かめがや よしろう さん)

大正9年生まれ 94歳
川崎市高津区梶ヶ谷在住

約1世紀に渡り梶ヶ谷で暮らしてきた亀ヶ谷さんに、
まちの風景、戦争、土地区画整理のことなどを伺いました。
(平成26年7月20日)

亀ヶ谷 与四郎さんの写真

当時の町の風景は?

 

 今よりも自然が豊かでね。夕方になると蛍が家の中まで入り込んで来るのです。田んぼも多かったですよ。 このあたりは昔、51戸あったという記録も残る小さな集落ですが、それぞれ一反から二反、多いところでは四反の田んぼを持つ家もあり、 周りは農家ばかりでした。今のJR貨物の駅のあたりも田んぼでね。あそこは盛土をして埋め立てたのですよ。 野川から子母口にかけては鶴見川の支流もあって、蛍が住むのには適していたのでしょうね。 6月ごろになると2センチくらいのマツムシが「ジージー」って低く鳴いてね。普通の蝉より早く鳴くし、 じりじりした鳴き声が「暑苦しいねぇ」って言われてね。でもマツムシの鳴き声が梅雨入りの合図のようなもので、 入梅直前に鳴いていたのは懐かしいね。梅雨が明けるとアブラゼミが鳴き、秋が来ると今度は蜩(ヒグラシ)でね。

「ブル」がやってきた

 

 高度経済成長の時代になって昭和44年にこのあたりの区画整理が始まってね。その少し前に東急が溝の口から長津田まで伸びて梶が谷駅 もできたのですよ。 田園都市線ができて、のどかだったこのあたりにも否応なしに近代化の波が押し寄せてきて、 沼地だった低い土地が埋め立てられてJRの貨物駅になったりしてね。 そう、駅ができて東急の区画整理が始まったら「ブル」がやってきたんだ。ブルドーザーのことだよ。 「ブル」が田んぼや畑を次々と壊して、宅地や道を作っていったからね。もうそうなったら、とても農業どころではないね。 精魂込めて手入れした畑だって「ブル」のせいで石ころがいっぱいで、とても作物なんか作れる状態じゃなかった。 うちもその時、これ以上農業を続けることは無理だと観念したね。時代の流れとはいえ、あの時は寂しかったね。

ご自宅にお地蔵様があるそうですね?

 

 亀ヶ谷の家に代々伝わるお地蔵さまの話を父や祖父からいろいろ聞いていますよ。 お地蔵さんの隣には馬頭観世音も並んでいるんだ。そのお地蔵さまは昔、修業中にこのあたりを通りかかった野川のお坊さんが病気になって 「私に万一のことがあった時は亀ヶ谷さんに伝えてほしい」と言い残して亡くなって、うちの先祖が今の梶が谷五丁目の十字路のあたりに建 てて供養してあげたと聞いています。それを区画整理の時に今の場所に移すことになって、掘り起こして調査したら「骨が入っておりました」 と言っていたから、本当だったという話になってね。またはお坊さんじゃなくて病気の女の人、という説もあってね。「私が死んだらこれま お世話になったお礼がしたい」と言って、亡くなったあと埋葬した上にお地蔵さまを立てて守り本尊にしたという言い伝えでね。やがて 「子宝に恵まれる」と言われるようになって、今も手を合わせる人の姿がありますね。他にも亀ヶ谷の家には季節になると「廻り地蔵」や 「お不動様」がまわって来ましたね。(PDF版の抜粋です)

亀ヶ谷さん宅にある馬頭観世音の写真

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